春日神社・訳語田幸玉宮 伝承地(桜井市戒重)

春日神社は桜井市戒重の国道169号線沿いに鎮座しています。祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)・天太王命(あめのふとたまのみこと)・武甕槌命(たけみかずちのみこと)・比売神(ひめのみこと)。本殿、拝殿は西面し拝殿に向かって左側の一画に境内社の稲荷社、琴平社、兪詛社があり、右前方に繁森社を祀っています。またこの神社は敏達天皇の訳田幸玉宮の宮跡ではないかとの説があります。 

訳田幸玉宮跡については、この神社付近(戒重説)と桜井市太田付近(太田説)の二説があります。 太田説については「大和志」などで太田地区にある天照御魂檸社を、式内大社「他田坐天照御魂神社」とするところからきています。 

一方、戒重説については、「扶桑略記」「帝王編年記」に磐余訳田宮とあり、磐余地域であった事を示し、戒重村はかって他田(おさだ)庄と呼ばれ、小字の和佐田(わさだ)は明治以前は他田(おさだ)で春日神社もかって他田宮(長田宮)と呼ばれていたことから、戒重を訳語田宮とする考えが有力です。 

この宮は後に悲劇の英雄とされた大津皇子の邸宅となり、持統天皇による刑の宣告を受けたところでもあり、更に玉井西阿が興国2年(1341)に開住城を築き、楠木正成なき後の南朝を守る重要な基地だったといわれています。