等彌(とみ)神社は桜井市立図書館と多武峰に向かう県道を挟んで東側に位置します。一歩神域に入ればその荘厳さに身が引き締まる感じがします。見所も多く時間が許せば山頂にある霊畤まで、いい空気をいっぱい吸っての登拝(行きかえり約1時間)がおすすめです。四季それぞれの景観も素晴らしく秋には紅葉のライトアップなどのイベントも企画され神社に親しめるいい機会を作ってくださっています。
ところでこの土偶の写真ですが等彌神社のイメージキャラクター・ヤタガラスのご神像です。
「桜井市史」によると、元文元年(1736)下津尾社の敷地内にある磐余の松の枯れ株の下から掘り出されたそうです。何とも奇妙なスタイルとお顔ですが、じっと見てると愛嬌があります!!「大和さくらい100選」のパワースポットの一つとしても選ばれています。
神社のご由緒につきましては、当社のリーフレットを引用させていただきます。「鳥見山の西麓に鎮座する当社の歴史は古く、十世紀前半に制定せられた『延喜式』の神名帳にすでに記載があります。千数百年の悠久の歴史と伝統を有するとともに、昭和15年の紀元2600年当時には、旧村社から県社に列せられ、爾来、地元桜井はもとより、全国的な崇敬に預かる県下有数の古社にして名社です。 境内には、160余基の石燈篭が並立し、参道を進むと上社「上津尾社」に至り、裏参道を下ると「下津尾社」に至ります。御祭神は、上社が天照皇大神 下社には八幡大神・春日大神をお祀りするとともに、その他八社(弓張・恵比須・金毘羅・黒龍・稲荷・猿田彦・愛宕・桃神)の境内社及び桜井市護國神社が鎮座されています。
近年では、秩父宮勢津子妃殿下、鷹司和子神宮祭主様のご参拝を始めとして、神宮大宮司徳川宗敬様、同じく二條弼基様、作家佐藤春夫先生、詩人堀口大學先生、評論家で地元出身の保田興重郎先生など多くの文化人が参拝されました。境内には万葉歌碑やこれら諸氏の句碑・歌碑が十三基建立されており、一大文学の森を形成しています。」境内にある万葉歌碑(詳細は下記のリンク先をご覧ください)
・うかねらふ 跡見山雪の いちしろく 恋ひば妹が名 人しらむかも 万葉集 巻10-2346 作者不詳
・射目立てて 跡見の岳辺の なでしこの花 ふさたおり われはゆきなむ 奈良人のため 万葉集 巻8-1549 紀朝臣鹿人
・妹が目を 跡見の崎の 秋はぎは 此月ごろは 散りこすなゆめ 万葉集 巻8-1560 大伴坂上郎女