談山神社(たんざんじんじゃ) (桜井市多武峰)
■ 一の鳥居 (談山神社)
■ 東大門(談山神社)
■ 石橙籠(いしとうろう)
その他
■ 屋形橋
「記紀万葉さくらい」より引用
談山神社の歴史は古く乙巳の変の立役者の一人、藤原鎌足公が亡くなったあと、摂津国阿威山に葬られましたが鎌足公の長男定慧が遺骨の一部を多武峯山頂に改葬し、木造十三重塔(重要文化財)と講堂を建立し妙楽寺と称しました。さらに定慧の弟の藤原不比等は神殿を建立し、鎌足公の神像を安置しました。これが談山神社の始まりといわれています。
社名は鎌足が中大兄皇子と蘇我入鹿を暗殺するため、ここで極秘の談合をした「談い山」からとったものといわれています。明治初めの神仏分離令後、神社だけが残りましたが今もたくさんの文化財が残されています。
多武峰の山中には楼門(重要文化財)、本殿(重要文化財)、権殿(重要文化財)をはじめとする朱塗りの華麗な社殿が建ち並び、漆塗極彩色、三間社春日造の本殿には鎌足像が祀られており、日光東照宮の手本になったといわれています。また日本で現存、唯一の木造十三重塔は、室町時代の再建で高さ17mで鎌足の墓塔といわれています。
桜が彩る春、新緑の季節、紅葉の秋、雪化粧が見事な冬と、四季を通じてその美しさを堪能することができ、故事にちなんで春と秋に行われる「蹴鞠まつり」でもたくさんの方で賑わいます。
石橙籠
花崗岩製の六角型石燈籠で高さは267.5センチメートル。
各部に鎌倉時代後期の特色が見られ、円柱の中節に元徳三年(1331年)の銘がある。
後醍醐天皇ご寄進云々の話が伝えられ、もとは妙楽寺の何処かにあったものと考えられる。
現在は談山神社本殿に至る参道の北側に置かれている。
・談山神社境内 ・国指定重要文化財
摩尼輪塔(まにりんとう)
上に笠石、その下の塔身上部に円盤を造り、密教の胎蔵界「大日如来」の種子アークが刻まれている。
摩尼とは、宝珠のこと。
源順公の建立と伝えられている。
八角大石柱笠塔婆の塔身に薬研彫で、『妙覚究竟摩尼輪』と彫られ、上円部に梵字『アーク』を刻む。乾元二年(1303年)の銘がある。
国指定重要文化財
●アクセス
桜井市コミュニティバス(多武峯線)桜井駅南口発、談山神社行バスで約24分(終点下車徒歩5分) □【桜井駅南口】から【談山神社】バスの時刻表はこちら ›
●多武峰 談山神社 (大型)バス 等の駐車場予約について
予約を希望される場合、下記事項を明記の上、FAXをお願いします。折り返し連絡させていただきます。
団体名、担当者名、予約日、時間、台数、連絡先
専用FAX 0744-49-0080 多武峰観光協会
●多武峯近辺の名所旧跡については多武峯街道をご覧ください。
談山神社 一の鳥居
この鳥居は享保9年(1724年)の制作で、高さ約8.5メートル、長さ約11.5メートルだが、西側の端が昭和23年ごろの火災で欠けてしまった。
談山神社 東大門
門の横の道脇に、「女人堂道」と彫られた石碑が建っているが、これは昔、多武峰が女人禁制だった名残である。
屋形橋
安永元年に吉野へ旅をした本居宣長は、ここに来て「うるはしきある橋あるを渡り、すこしゆきて惣門にいる」と菅笠日記に記している。
松尾芭蕉は三輪から多武峰に来てこの橋を渡ったといわれている。