我が国を代表する磚槨式の古墳で古くから国史跡に指定されている古墳です。場所は女寄峠手前の笠間辻のバス停から15分ぐらいの桜井市粟原字小谷の山中にあり有名な古墳だけに一般の地図にも記載されてる場合が多いのですが探しにくい古墳の一つです。
古墳は尾根の南斜面を削り平坦面を造り墳丘をつくっています。南南東に開口部を持つ円墳(径約16m)と思われますが封土の大半を失い確定はできません。
石室内は一種独特の雰囲気で古墳と言うよりも焼物の窯跡みたいな感じがします。構造はレンガ状に加工した榛原石を漆喰で固め積み上げた全長約8mの横口式石槨墳で玄室の壁面には全面に漆喰が施されています。石扉を有する奥室を持つのも特徴のひとつです。発掘調査は明治初年に行われているという事で遺物の残存なしと報告されています。築造年代は他の同じタイプの古墳との比較から7世紀の中葉から後半といわれています。