「大和の古墳チャンネル」より引用
桜井市谷の住宅街の中に残された古墳で、安陪文殊院の直ぐ近くにあります。墳形は方墳(南北28m、東西22m、高さ8m)で東南に開口しています。
埋葬施設は花崗岩を用いた両袖式横穴式(全長13.2m)で、玄室部は長さ4.4m、幅2.7m、高さ2m。羨道部は長さ8.8m、玄門幅1.9m、高さ約1.5mで、玄室の側壁と天井石の間隙に漆喰が残っています。石棺は竜山石製の刳抜式家型石棺で6個の縄掛突起を持っています。正式な発掘調査はされておらず出土遺物は不明ですが、築造時期は石室や石棺の様式から7世紀中頃と思われます。
この古墳を語るときに必ず出てくる話題が、石棺と石室の関係で、石棺を石室にどう入れたのかですが・・・それはさておき、石棺は一見盗掘されていないように見えますが、奥側の小口部に大きな盗掘穴が空いています。しかし、それを差し引いても決して期待を裏切らない国史跡の古墳です。