粟原寺跡(桜井市 粟原)国史跡
粟原寺は桜井市の東部、竜門山塊の北麓に位置し集落の南側にある天満宮の裏手のやや高い場所にあります。塔跡などの礎石が残っていますが発掘調査は行われておらず伽藍配置など詳細は不明です。
今は、礎石だけが残る廃寺ですが、江戸中期、談山妙楽寺(現在の談山神社)の宝庫から発見された粟原寺、三重塔の露盤の伏鉢(相輪の一部)に刻まれている銘文に中臣朝臣大嶋(なかとみのあそんおおしま)が天武天皇と持統天皇の息子・草壁皇子をしのび創立を誓願したが果たさず没し、比売朝臣額田(ひめのあそんぬかた)が二十二年を要しこの地に伽藍を建て丈六釈迦仏像を安置し三重塔を建立し、草壁皇子、発願者の大嶋などの冥福を祈ったと印刻されています。比売朝臣額田は、かって天武の妻であった万葉歌人・額田王であり、大嶋は額田王の晩年の夫ではなかったのではないかという説もあります。
建立年代、造営過程など寺の由緒がわかる貴重な文化財で明治35年(1902年)国宝に指定され、寺跡も国史跡になっています。