磯城瑞籬宮は、第10代崇神天皇が営んだ宮とされています。記紀によりますと、崇神天皇の時、民が死に絶えてしまうような疫病が発生しました。これは、三輪山の神、大物主大神(オオモノヌシノオオカミ)のしたこととお告げを受けた天皇は、神の意に従い、神の子孫となる大田田根子(オオタタネコ)を探し出しました。そして、彼に託して三輪山に大物主大神をお祀りしたところ、祟りが鎮まり疫病がおさまったとされています。また、東海や北陸、西国、丹波へと四方に将軍を派遣し国内の安泰につとめ、民をよく治めたことから、初めて国を治めた天皇としてたたえられたと記されています。址」の石碑が建立されています。