国特別史跡の文殊院西古墳の東50mに位置する古墳ですが文殊院西古墳の陰に隠れ、素通りされることが多い古墳ですが、この古墳も堂々の県史跡。
墳丘は円墳又は方墳と思われますが詳しい調査は行われていないので規模は明らかではありません。横穴式石室は両袖式で全長が13m。玄室長4.7m、幅2.3~2.7m、高さ2.6m。羨道部は長さが8.3m、幅1.8~2m、高さ1.5mを測り南南西に開口しています。玄室部はほとんど加工されていない自然石、羨道部は切石の花崗岩が使われているのが特徴で、石室の石材が自然石から切石に変化して行く過渡期の古墳と言えるでしょう。
また、この古墳は石室の羨道部に井戸があるところから閼伽井窟と呼ばれ,古くから信仰の対象とされてきました。現在石室内には入れませんが開口部から、およその雰囲気は感じ取ることができるでしょう。
出土遺物は不明ですが石室の形状より築造年代は7世紀前半と思われ当地の大豪族であった阿倍氏一族の墳墓の可能性があります。