安倍寺跡

 安倍寺跡は、よく知られる安倍文殊院の西南約300メートルにある飛鳥時代の寺院跡で、この地域一帯は安倍一族の本拠地と言われています。調査後、史跡指定(昭和45年3月)を受け史跡公園として塔跡、金堂跡、回廊跡の 一部の基壇が復原整備されて残されています。

 安倍寺は東大寺要録(12世紀初期の東大寺関係の記録)によれば崇敬寺(そうきょうじ)とも言われ大化の改新の時の左大臣、阿倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の建立と記録されています。しかし平安時代末期には衰退し鎌倉時代の火災により現在の安倍文殊院の地に移されたと伝えられています。

 この安倍寺の範囲は200m四方で伽藍は南面し、東側の土壇は金堂跡、西側の土壇は辺15mの塔跡です。北方にもかつて土壇があり、未調査ですが講堂跡と思われます。また北に接して残っている平窯跡は鎌倉時代のもので安倍文殊院建立用の瓦がここで焼かれた可能性があります。

 出土遺物としては、軒瓦は、八葉単弁軒丸瓦と篇行唐草文軒平瓦がある。軒丸瓦は、山田寺の瓦との煩縁性か指摘されています。珍しいところでは日本でも数例しか知られていないという唐三彩の獣脚(壷につく脚)があり、他には土器、素文鏡、金環などで、7世紀中ごろから平安時代にかけての遺物が出土しています。

 安倍寺の創建時期は、出土した瓦等から山田寺(641-678年)とほぼおなじ時期で、法隆寺式伽藍配置に属するもので中央官人の阿倍氏の氏寺として建立されたと考えられ、東接する文殊院西古墳をはじめとする阿部丘陵の7世紀の古墳とのかかわりについても注目する必要があります。