メスリ山古墳(桜井市高田)国史跡
「大和の古墳チャンネル」より引用
我が国最大の円筒埴輪(径0.9m、高さ2.4m)の出土で知られるメスリ山古墳は、大字高田にある巨大な前方後円墳で、前方部を西に向け周濠を持たない古墳です。全長は224mで前方部幅80m、高さ8m、後円部径128mで、高さは19mとされていましたが近年の範囲確認調査で墳丘の裾がかなり埋没していることが確認され、全長は250mに及ぶと考えられ、築造当時は箸墓古墳、西殿塚古墳に次ぐ当時としては最大級の古墳という事が判明しました。墳丘は3段築成で墳丘斜面には葺石が敷かれ、テラス面には埴輪列が設けられていました。
発掘調査は一次(1959年12月~1960年1月)二次(1960年3月~4月)三次(1961年3月)に分けて、県教委が中心となって行われました。 1959年の調査では後円部の墳頂部に造られた方形壇と、その周囲を二重に巡る埴輪の方形区画列が調査され、方形壇に囲まれた内部に南北方向に竪穴式の埋葬主体部(全長8m、幅1.35m、高さ1.76m)があり粘土床上に木棺が安置されていました。盗掘されていた為、埋葬状況を知る資料は多くはありませんが、三角縁神獣鏡、内行花文鏡の破片、石釧、鍬形石、車輪石、椅子型石製品、櫛形石製品、合子などの石製品、勾玉、管玉などの玉類が見つかっています。尚、この石室の上面は約1mの高さの石垣の施された方形の土壇で囲まれており今も観察することが出来ます。
調査時に一番注目を浴びたのは、副室(全長6m、幅0.7m合掌式の竪穴式石室)が未盗掘の状態で発見されたことです。人体埋葬の形跡が無く副葬品だけが納められていました。副室からは儀礼用と考えられる鉄製の弓矢や碧玉製の鏃、鉄製のやり先(212本以上)銅鏃(236本)など、武器に関する多量の副葬品が発見され他にも大型勾玉、玉杖、太刀、剣、農工具等総計で680点以上が納められていました。尚、出土品は一括して重要文化財に指定され、その多くは橿原考古学研究所付属博物館で見ることができます。この古墳は箸墓古墳、西殿塚古墳、外山茶臼山古墳に続く初期大和政権の大王墓で、築造年代は出土品等から4世紀初頭と考えられています。
大きさからいえば、現状は全国で14位に相当する古墳ですが200m以上の多くは陵墓あるいは陵墓参考地で、立ち入りが制限されていますがこの古墳は数少ない墳丘に登れる古墳です。是非、登って竪穴式石室の天井石や方形の土壇を自分の目で確認し、その大きさを実感ください。(前方部は果樹園や畑地がご遠慮ください。)ただ、夏場は雑草が生い茂り、主室の天井石周辺は雑草に隠れ視界が悪い上、一段下がっていますので、足元には十分注意ください。見学時期としては11月~5月ぐらいまでがおすすめです。