忍坂古墳群(現・桜井市 朝倉台、元・桜井市 忍阪)

  外鎌山の西にのびる尾根上及び、南斜面に位置した古墳群で、団地造成に伴って調査された忍阪古墳群は10基を数えます。調査後1・2・8・9号墳は団地内の古墳公園に移築されましたが、その他はすべて調査後に消滅しました。8.9号墳は移築されてるとはいえ、元の場所から周囲の土ごと移築されていますが、こういう移築は、あまり無く、いかに重要な古墳群であったかがうかがえます。

 1号墳は径7mの円墳で、発掘時点で既に天井石や羨道部はなくなっていました。築造は6世紀中頃とおもわれます。2号墳は径13mの円墳で同じく天井石や羨道は残っていませんでした。

 この古墳群で一番注目を集めたのは8号墳で、南斜面に築かれた径約12mの円墳(多角形墳の可能性もあり)周囲に幅約3mの濠を巡らせていました。埋葬施設は加工した榛原石によって築かれた磚槨式石室(レンガ状に割れる室生安山岩、通称榛原石を積んで築造した石室)で、石室の南半分や上部は既に失われていましたが、日本で初めて見つかった6角形の特異な石室です。尚、南西部には羨道部があったものと推定されています。出土遺物は石室内から、歯1個と銅製釘4点、ガラス玉約100点、須恵器杯蓋片1点、周濠より土師器甕1点が発見されています.

 9号墳も墳丘の南半分が破壊されていましたが、墳丘の規模、外形や周囲の濠は8号墳とほぼ同じと推定され、埋葬施設も8号墳同様、磚槨式石室ですが、長方形の石室でT字形の横穴式石室と思われます。8.9号墳ともに築造の時期は明確ではありませんが、7世紀後半から末葉にかけてと推定されています。

 近鉄朝倉駅から徒歩5分足らずで行ける団地内の公園に移築された古墳ですが、六角石室として発見当時は大変、話題を呼んだ古墳です。尚、見学は常時可能ですが夏場は雑草が多く、8.9号墳の石材が見えにくく、冬場がおすすめです。また、この場所から見える忍坂山(外鎌山)と倉梯山(音羽山)の山容は、万葉集ファンに取っては、たまらない眺めかと思います。