箸墓古墳(桜井市箸中) 陵墓

 邪馬台国の女王卑弥呼の墓という説もある箸墓古墳は、我が国,最初の巨大古墳として知られ現在は、倭迹迹日百襲姫命の大市墓として宮内庁で管理されています。 箸墓古墳は3世紀始めごろに出現した当時国内最大の集落跡、纒向遺跡にある全長約280mの巨大な前方後円墳で、当時としてはもちろん、我が国最大の墳墓です。

墳丘は前方部4段、後円部5段の段築で墳丘表面には葺石が積まれ、後円部墳頂やその付近から吉備地方と同型式の特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪が採集されています。(1976年)又、前方部頂上部やその付近からも、底部に穴の空いた複合口縁の壺形土器が採集され、1992年の前方部南側の調査の結果では、この古墳は大半の封土を盛土した可能性が高いことが判明しています。

 周濠については幅約10m程度の周濠と、その外側に基底幅15mを越える大きな外堤が巡っていた可能性あり、外堤の所々には渡り堤が築造当初からあったと考えられています。 
埋葬施設については墳丘裾部分で板石が散見される事より、竪穴式石室と思われます。又出土遺物につきましては陵墓指定地外の調査で出土したものとしては、木製輪鎧(4世紀初め)等の木製品、土器破片及び宮内庁によって採集された特殊壺形埴輪と特殊器台型埴輪等があります。 

築造年代につきましては研究者により様々ですが、後円部墳頂の埴輪及び周濠部等から出土の土器の型式及び墳丘の形態より、3世紀中頃から後半だと考えられています。