海石榴市(つばいち)・仏教伝来地碑 (桜井市 金屋)
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日本書紀によると、欽明天皇13年(552年),百済の聖明王の使者が、この地に釈迦仏の金銅像や経典を献上したとあり、それをもって日本に仏教が伝来したとされ、初瀬(泊瀬)川沿いに「仏教伝来地」の顕彰碑が建てられています。 また、推古天皇16年(608年)遣隋使の小野妹子が帰国したのもこの地で、隋からの使者である裴世清(はいせいせい)一行を朝廷側は飾騎(かざりうま)を75匹用意し、盛大に迎えたと日本書紀は伝えます。また海石榴市は歌垣のあった場所としても知られ万葉集にも次の三首が残されています。
紫は 灰指すものぞ 海石榴市の 八十の巷に 逢へる兒や誰 巻12 3101
たらちねの 母が呼ぶ名を 申さめど 路行く人を 誰と知りてか 巻12 3102
海石榴市の 八十の衢に 立ち平し 結びし紐を 解かまく惜しも
巻12 2951
八十の衢は多数の道が合流する地点をさし、この海石榴市は物品の交換や商いをする市が立ち、男女が出あう歌垣の場と知られるほか、神を媒体とした懲罰や処刑の場としての機能や雨乞い、授戒、葬送など他界への出入口として、お祓いや浄めの役割もあったことが日本書記からもうかがえます。
海柘榴市観音堂
万葉集をはじめ日本書紀、枕草子にも登場する海柘榴市は、わが国最古の市。
現在の三輪山の麓にある金屋周辺を指す。
影姫の慈愛の伝説や恋の歌をかけ合う歌垣の舞台として知られたが、今は金屋の集落の観音堂にその名を残している。
トイレ有