横大路

奈良盆地を東西に、ほぼまっすぐに横断する横大路(よこおおじ)は、日本書紀によると推古21年(613年)11月条に、「難波より京(みやこ)に至るまでに大道を置く」とあり、推古朝の時代に難波津から推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)まで、河内と大和を結ぶ東西の官道として敷設されたと思われます。現在の地名で言えば東は桜井市仁王堂の寺川にかかる小西橋から、西は葛城市当麻の長尾神社までの約13キロで、東側は初瀬道(泊瀬道)西側は竹内街道とそれぞれ結ばれています。  

モデルコース

当時の大和朝廷にとって最も重要な道の一つで、多くの外交使節も利用したものと思われます。江戸時代になると「伊勢街道」の名で伊勢神宮へのお蔭参りの参道として大変賑わいました。
このホームページでは桜井エリア(中津道との交点にあたる桜井市西之宮の三輪神社~小西橋あたりまで)の横大路についてご紹介します。