51.家にあらば妹が手まかむ・・

揮毫者 間中 定泉(けんちゅう じようせん)
宗教家、昭和三十八年から五十七年まで、法隆寺管長(第105代)をつとめる。書に通じていた。

家にあらば

妹(いも)が手まかむ

草枕

旅にこやせる

この旅人あはれ

    万葉集巻3-415 聖徳太子

☆「聖徳太子が竹原井にお出かけになった時に、竜田山の死人を見て 悲しんでお作りになった歌」とされている。

歌の意味
家にいたならば妻の手を枕にすることであろうに、旅先で倒れておいでになるこの旅人よ、ああ。

聖徳太子
欽明天皇の孫。用明天皇の皇子。
母は父の異母妹,穴穂部間人皇女。聖徳太子妃の刀自古郎女(とじこ の いらつめ)も稲目の孫、馬子の娘である。

歌碑の場所 51番
桜井市上之宮の春日神社の境内に建つ。