揮毫者 間中 定泉(けんちゅう じようせん)宗教家、昭和三十八年から五十七年まで、法隆寺管長(第105代)をつとめる。書に通じていた。
家にあらば
妹(いも)が手まかむ
草枕
旅にこやせる
この旅人あはれ
万葉集巻3-415 聖徳太子
☆「聖徳太子が竹原井にお出かけになった時に、竜田山の死人を見て 悲しんでお作りになった歌」とされている。
歌の意味家にいたならば妻の手を枕にすることであろうに、旅先で倒れておいでになるこの旅人よ、ああ。
聖徳太子欽明天皇の孫。用明天皇の皇子。母は父の異母妹,穴穂部間人皇女。聖徳太子妃の刀自古郎女(とじこ の いらつめ)も稲目の孫、馬子の娘である。
歌碑の場所 51番桜井市上之宮の春日神社の境内に建つ。