揮毫者 中河幹子明治・大正・昭和期の歌人。「ごぎょう」創刊。歌集「夕波」「悲母」等。
ももつたふ 磐余の池に
鳴く鴨を 今日のみみてや
雲がくりなむ
万葉集巻3-416 大津皇子
歌の意味磐余の池で、ああ鴨が嗚いた。じっと見ると、物陰に鴨はいる。ぽっつりと浮かんで、これを見納めとして、私は死んでいかねばならぬのか。貴い天皇の子である私が。
☆詞書に「大津皇子が処刑される時 に磐余の池の堤で涙を流してお作りになった歌」とある。
大津皇子天武天皇の第三皇子(持統紀)。懐風藻には天皇の長子としている。母は天智天皇の皇女、大田皇女で母方からいえば天智天皇の孫にあたる。壬申の乱の時には天武天皇挙兵の報に接するといちはやく近江を脱出して鈴鹿で父、天武軍に合流、以後陣営をともにしたが天武天皇が崩御すると謀反の疑いをかけられ自害させられた悲劇の皇子。
歌碑の場所 32番 春日神社のすぐ南に吉備池があり池畔(ちはん)に南面して建つ。