揮毫者 安田 靫彦(ゆきひこ)日本画家。法隆寺金堂壁画の再現模写に尽力し、院展にも毎回力作を出品した。
山吹の 立ちしげみたる山清水
酌みに行かめど 道の知らなく
万葉集 巻2-158 高市皇子
歌の意味十市皇女の葬ってある墓地のあたりには黄色い山吹に取り囲まれた山の清水がある。それを汲むために、皇女の御霊は通っておられるだろう。行って逢いたいなあと思うが、その道を知らないのでどうすることも出来ない。
高市 皇子天武天皇の長子で十市皇女とは異母兄妹になる。毋は皇女ではなく身分は低かった。壬申の乱では十九歳で天武側の軍の指揮官として活躍した。「高市皇子尊」と尊号を付けてあるのも皇太孑草壁皇子の亡きあと、皇太子並みに遇せられていたためであろう。
歌碑の場所 13番玄賓庵北側の山清水のせせらぎの森かげに碑は立っている。