玉列神社(桜井市 慈恩寺)

 三輪山の南麓の旧伊勢街道沿いの台地に鎮座。「玉列」と書いて「たまつら」と読みます。旧村社で大正10年大神神社の摂社となった式内社で、背後の山に椿の大木が多く、古くから崇敬されてきた事がうかがわれます。境内は玉椿の名所である事から近世まで「玉椿大明神」と呼ばれ、これは海石榴市からきているという考えや、玉を貫ねるという意味で魂貫という説、あるいは元々この場所はタマツナギという地名だったから等、いろんな説があるようです。明治維新以降は延喜式にある「玉列神社」とよばれています。

祭神は玉列王子神(たまつらおうじのかみ)で本社・大神神社の大物主大神の御子神で、天照大神、春日大神と合わせ祀られています。延喜式(927年)の神名帳にも見える初瀬谷における、最古の神社と言われています。一説には雄略天皇の泊瀬朝倉宮伝承地の近くに鎮座することより、王権の三輪山祭祀の南麓拝所として創祀されたとも伝わっています。 

 本殿は明治時代に再建された檜皮葺、春日造で境内には、安永年間建立の石鳥居、江戸時代中期に寄進された石灯籠や狛犬があります。境内には今も椿の木が多く、3月末には椿まつりが開催され多くの人たちを楽しませてくれます。   

又、この玉列神社の東隣に「阿弥陀堂」という一宇があり元々、玉列神社の神宮寺だったといわれています。境内入り口には樹齢400年といわれるケヤキの大木があります。本尊は阿弥陀如来像は12世紀前半の作とされ、桜井市の史跡に指定されています。また、境内には付近の伊勢街道沿いから移した石仏や道標が多数祀られています。