揮毫者 阿波野青畝(あわのせいほ)俳人。高浜虚子に師事。秋桜子・素十・誓子とともに四Sと称され、『ホトトギス』黄金時代を築いた。
人言を
しげみ言痛み
おのが世に
いまだ渡らぬ
朝川わたる
万葉集2-116 但馬皇女
歌の意味人の噂があれこれとひどくやかましいので、生まれてまだ一度も渡ったこともない朝の川を渡ることだ。人目につかないよう早朝に帰る。
但馬皇女高市皇子の妻でありながら穂積皇子に思いを寄せたので、一夫多妻の時代とはいえ皇女の積極的な行動は人の噂に登りあれこれ取り沙汰されたのであろう。穂積皇子は大伴坂上郎女を愛していたので、但馬皇女の燃えるような情熱と、道ならぬ恋に、いささか躊躇したと思われるが皇女の激情はそんなことにお構いなく身を恋しい皇子のもとに運ばせたのであろうか。
歌碑の場所 47番桜井市出雲の国道165沿いの道端に初瀬川を背に西面して建つ。