市外観光地

天理市

景行天皇陵(渋谷向山古墳)

第12代景行天皇の陵墓とされ、宮内庁で管理され周辺の古墳3基が陪塚に指定されています。幕末の文久の修築事業中に崇神天皇陵から景行天皇陵に治定変更されました。地区の名を取って「渋谷向山古墳」とも呼ばれています。 東側から伸びる丘陵の尾根を利用した傾斜地に築かれています。前方部を西に向け墳丘は前方部3段、後円部4段築成と考えられています。周濠は10か所の渡堤により階段状に区切られていますが水利目的で改修された可能性があります。埋葬施設については不明ですが後円部の頂部に径42mの平坦面があり複数の埋葬施設の存在が推定されています。築造年代は、出土した土器から4世紀後半とされ崇神天皇陵に続いて造られた大王の墓です。

出土遺物は埴輪や土器などしか見つかっていませんが、伝世品としては関西大学所藏の石枕があります。1864年の出土とされ、大王の頭部を飾るのにふさわしい優品です。

長岳寺(天理市 柳本町)

 日本最古の道、山の辺の道にある長岳寺は天平元年(824年)、淳和天皇の勅願によって空海(弘法大師)が大和神社の神宮寺として開いたと伝わる名刹で、高野山真言宗に属し、俗に釜口のお大師さんと呼ばれ親しまれています

 中世の盛時には多くの堂房が立ち並び、衆徒300余名の真言秘法の大道場として知られていました。廃仏毀釈など幾多の栄枯盛衰を重ねながら、わが国最古の鐘楼門(重文)、本尊阿弥陀三尊像など、多くの貴重な文化財を今に伝えています。

 付近には鎌倉時代から南北朝時代にかけての石仏が多く残り、特に巨大な弥勒大石棺仏(鎌倉時代)が知られています。12000坪の落ち着いたしずかな境内には平戸つつじをはじめ季節の花が咲き誇り、参拝者の人気を集めています。

橿原市

藤原宮跡(橿原市)

 特別名勝史跡の 藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は694年に持統天皇によって造られたわが国初の条里制の本格的な都城跡で中心施設である藤原京のあったところです、一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、平城遷都までの16年間(694~710年)にわたりここに都が置かれました。大和長寿道はこの大極殿跡を横切って東は安倍文殊院、西はおふさ観音へと伸びています。

 整備もすすめられ季節ごとに美しい花が植えられ、菜の花やコスモスなど色とりどりの花で大和三山を眺める絶好の眺望スポットでもあり多くの人で賑わいます。尚、藤原宮跡の周辺には、橿原市藤原京資料室や奈良文化財研究所藤原宮跡資料室など見どころがたくさんありますので、長寿道を歩きながらゆっくり楽しめます。

御厨子観音(橿原市)

 御厨子観音(みずしかんのん)は、真言宗高野山派のお寺で奈良時代の賢人、吉備真備(きびのまきび)が阿部仲麻呂等と共に717年に遣唐使として派遣され、18年後に帰国。無事唐から帰国できたことを喜んで創建させたという伝承があります。本尊は十一面観世音菩薩で吉備真備が中国で窮地に立たされた時、蜘蛛に助けられたことから、クモ観音とも呼ばれています。

 また寺の東側に、万葉学者、犬養孝揮毫の大津皇子の辞世の歌といわれる「百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ」の歌碑があります。歌碑の背後には磐余(いわれ)の池があったと言われています。

おふさ観音(橿原市)

おふさの観音さんの名で親しまれているこの寺の正式名は高野山真言宗別格本山観音寺といいます。「おふさ」の名は、江戸時代におふさという娘がこの地に観音様を祀ったことに由来するのだという伝承もあるようですが寺のある地名と合わせて「小房(おふさ)観音」と呼ばれています。

本尊の十一面観世音菩薩は空海作とも言われ健康を授けるといわれ、近年は長寿とボケ封じの寺として広く信仰を集めています。また、仏の世界になぞらえて「花まんだら」と呼ばれる境内には四季折々の花が咲き誇り、春と秋には、「バラまつり」が開催されイングリッシュローズを中心に約2,300種類のバラが咲き誇り参拝者を楽しませてくれます。
また夏には、風鈴の涼しい音色が厄を払うという仏教伝来の思想から、「風鈴まつり」が開催され、2,000個を超える様々な日本各地の風鈴が展示されています。

本堂拝観:9:00~16:00 拝観料大人300円 

JR畝傍駅より徒歩15分 ℡0744-22-2212

明日香村

飛鳥寺(明日香村)

 飛烏寺は、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子が発願し推古天皇4年(596)に創建された、わが国最初の本格的大寺院です。発掘調査(昭和31年)の結果では、束西約200m、南北約300mの寺域をもち、その西南に塔を中心として三金堂を置く大寺院であったことが判明しています。造営には百済の工人が当り、伽藍配置や瓦の文様などにも、当時の朝鮮の仏教文化の影響が色濃く出ています。

 本尊の国重要文化財で現存する最古の金銅仏とされる飛鳥大仏(釈迦如来座像)は609年(推古天皇17年)に、止利仏師によって造られた日本最古の仏像です。鎌倉時代の火災で顔と手以外が失われ、補修されたと記す文献があり、当初の部分が少ないと考えられ、国宝には指定されていません。
 残存部分を巡っては大部分が後世の補作だとするなど諸説があったが、2016年大阪大の蛍光X線分析を使った科学的な調査で右手と顔の部分が造立当初のものと考えられることが分かりました。

 旧伽藍は仁和3年(887)と建久7年(1196)に焼失し、室町時代以降は荒廃しましたが寛永9年(1632)と文政9年(1826)に再建され今に至っています。

石舞台古墳(明日香村)

 明日香村島庄にある日本を代表する巨大な横穴式石室です。1辺55mの方墳で西南方向に開口しています。墳丘上部は江戸時代以前からむき出しで元々の形状は不明です。

  発掘調査時、周濠や貼石がみつかり復元されています。両袖式横穴式石室の長さは全長は19mもあり当時では突出した規模を持ち石室に使用されている石材の最大のものは推定72トンを誇るこの石室は見瀬丸山古墳と並び最大級の規模を誇ります。

  棺は玄室部から凝灰岩の破片が出土している事から凝灰岩製の家型石棺と思われます。発掘時すでに遺物の殆どが失われ土器片が少々あっただけでした。築造年代は7世紀初め頃と思われます。発掘調査は1933.1935年。1954~1958年(濠の修復と調査)1975年(石舞台周辺国営公園化の為)に行われています。被葬者については多くの研究者が蘇我馬子をあげています。